2012年5月16日水曜日

エジプトの革命:「大きな中東」を創造するための破壊?


掲載2011年2月7日

訳者メモ

エジプトの動乱をウィリアム・イングドールが分析した記事です。私はテレビを見ないのでどういう報道がされているのか知りませんが、民衆の不満エネルギー(これは実在)を利用し、ツイッターなどの最新通信手段を使って政権転覆を図るカラー革命の一つだろうと思ってました。それで間違っていないようです。

カラー革命については、ウィキペディアの記事を参照(ここでもアメリカの「非政府=民間」団体が革命の工作に関与していることが書いてあります)。

ウィリアム・イングドールには、"Full Spectrum Dominance"(完全支配のシリーズ・タイトルにしてます)というペンタゴンの戦略(カラー革命など)をテーマにした著作があります(今のところ邦訳予定なし)。

さて、2月6日のデーヴィッド・アイクのニューズレターも、「エジプトの『革命』:もっともな理由の抗議が操られ利用されている」というタイトルで、同じような内容になっています。以下に簡単に紹介しておきます。

・最終的に誰が政権を握るかに注目しよう。何事も白黒はっきりというよりは、灰色だ。ムバラク(米国・イスラエルの操り人形)からエルバラダイ(同じ。ソロスの代理人。ソロスのThe International Crisis Groupの役員)へ交代。副大統領になったオマール・スレイマン(Omar Suleiman)は、今まで諜報機関のトップとして国民を弾圧してきた人物。

・ロスチャイルド・シオニストの「大イスラエル」構想、世界独裁への過程。

・19世紀のアルバート・パイクの言葉:「三つの世界大戦」を経た世界支配。三つ目の戦争は、シオニスト(イスラエル)とイスラム世界(アラブ)の戦い。

・最近、キッシンジャーが「これはドラマの第一幕の最初のシーンに過ぎない」と発言(ブルームバーグ・ニュース)。

ところで、デーヴィッド・アイクは、今回の記事でもウィキリークスの暴露情報を参照利用していますが、私の知る限り、今のところウィキリークス自体のインチキには言及がありません。利用できるものは利用すればよいという考えかもしれませんが、彼ほど情報量がありながら、そこに注意を促さないのは、何故なのかちょっと疑問です。

F・ウィリアム・イングドール

By F. William Engdahl

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2011年2月5日

チュニジアの政権交代の余波を受け、エジプトで揺ぎ無い体制を敷いていたホスニ・ムバラク大統領に対する大衆抗議運動が1月25日に始まった。これについて意図的に「オバマ政権は現在のムバラク体制を維持しようとしている」という印象が与えられているが、事実は反対であり、ワシントンがエジプト人を駆り立てている。他の国(シリア、イエメン、ヨルダン)と同じだ。その先には「創造的破壊」と言われるプロセスがある。

こうした隠密活動による政権交代の雛形は、ペンタゴン、米国の諜報機関、ランド社(RAND)などさまざまなシンクタンクによって過去何十年にわたり開発されてきた。その最初のものが、1968年5月のフランスのドゴール大統領の不安定化工作である。今回は、約20年前に米国が東ヨーロッパ諸国で同時に工作を始めた一連の政権交代以来である。これはある種の自暴自棄から生じた作戦であり、ペンタゴンとウォール街の長期目標に照らすと、彼らも大きなリスクなしに行っているわけではない。この地域と世界の人々にとって、どのような結末をもたらすのかは、まだ不明瞭である。

カイロなどエジプト全域、さらにイスラム世界で発生している暴力的な街頭抗議が最終的にどのような結果を迎えるのかは不明だが、米国の隠密作戦の大略はすでに明白である。

数百万人が生命の危険をおかしてまで街頭に繰り出す動機となっている政権に対する本当の不満については誰も異議を唱えることはできない。ムバラク政権の極悪さ、反対勢力に対する抑圧と拷問については、誰も弁護できない。シカゴとウォール街の商品投機筋により、また、アメリカの農地をエタノール燃料用のトウモロコシ栽培というばかげた用途に変えたことにより、食料品価格が爆発的に上昇し、穀物価格が天井を抜けて上昇したことに、誰も異議を唱えることはできない。エジプトは世界最大の小麦輸入者であり、大半の輸入先は米国である。シカゴの小麦先物は、2010年6月から11月の間に74%もの驚異的な上昇となり、これによって、政府補助金にもかかわらず、エジプトの食糧価格は約30%のインフレになった。

今回のエジプトの報道で、CNN、BBCなど西側のメディア全般が無視していることは、エジプトの内政でひどい行き過ぎがあったとはいえ、ムバラクは、この地域で米国の大きな目標を阻む大きな障害だったという事実である。

オバマとムバラクの関係は、最初から氷のように冷たかったと言っても誇張ではない。ムバラクは、イランとその核開発計画に関するオバマの政策に対し、また、ペルシャ湾、シリア、レバノン、パレスチナ人に対するオバマの政策に対し、頑なに反対していた。[1]ムバラクは、この地域全体、ワシントンの「大きな中東プロジェクト」(最近ではよりマイルドな表現で「新しい中東」と言い換えられている)に対するワシントンの大きな目標にとって手ごわいトゲだった。

北アフリカと中東で何百万もの人々を街路に駆り立てている要素が現実であるのと同じように、無視できない現実として、ワシントンはタイミングを見計らっており、時機が到来したと判断すれば、イスラム世界全体の包括的な政権交代による不安定化という究極の目的を達成しようとしている。実に素晴らしくまとめられた大衆デモがムバラクの退陣を要求していた日に、エジプト軍司令部の主要メンバー(参謀長のサミ・ハーフェツ・エナン中将など)は、全員がペンタゴンに招かれてワシントンにいた。このため、都合の良いことに、圧倒的な軍の力を使って、反ムバラクの抗議を初期の重要なタイミングで阻止することができなかった。[2]

この作戦は、少なくとも10年前には、国務省とペンタゴンの様々な書類の中にあった。2001年にジョージ・W・ブッシュが「テロとの戦い」を宣言すると、それは「大きな中東」プロジェクトと名付けられた。今日では、もっと穏当な響きのする「新しい中東」プロジェクトと言われている。それは、モロッコからアフガニスタンまでの地域(図を参照)の諸国をこじ開ける戦略である。この地域は、デーヴィッド・ロックフェラーの友達のサミュエル・ハンティントンがフォーリン・アフェアーズ誌に書いた悪名高い論文「文明の衝突」で定義された。


日本人のために抑留されたどのくらいの

エジプトが蜂起している?

現在ペンタゴンがエジプトで描いているシナリオは、セシル・B・デミルのハリウッド超大作として読めるが、今回のシナリオでは、Twitterに詳しく、訓練された何百万もの若者、ムスリム同砲団(Muslim Brotherhood)の工作員ネットワークがキャストとして登場し、米国が訓練した軍と共同で動いている。今のところ、この新作で主役を演じているのは、他の誰でもない。自ら「自由民主革命」と称し、「新しいエジプト」へと円滑に移行するかのように見せ掛け、ことごとく旧体制への反対運動の糸を巧みに操っているノーベル平和賞の受賞者である。

北アフリカからペルシャ湾に至るイスラム世界、さらに最終的には中央アジア、中国・ロシア国境のイスラム人口へと手を伸ばすワシントンの長期戦略を考える前に、現場にいる俳優たちの経歴を知っておくと有益である。

ワシントンの「ソフト」革命

うろたえたチュニジアのベン・アリがサウジアラビアに飛行機で亡命した直後に、ムバラク大統領に突如としてエジプト政府全体を解雇させる結果をもたらした抗議運動は、オバマのホワイトハウス、クリントンの国務省、CNN、BBCなど西側主要メディアが信じ込ませようとしているような「自然発生」ではまったくない。

抗議運動は、ウクライナ・スタイルの電子的ハイテク手法で組織されている。インターネットでつながった若者の大きなネットワークであり、これはモハメッド・エルバラダイ、さらに禁じられた秘密のムスリム同胞団(英米諜報機関やフリーメーソンとつながっていることが広く指摘されている)ともつながっている。[3]

現時点で、反ムバラク運動は、この地域での米国の影響力にとって脅威となっているように見えているが、まったく逆である。これは、雛型に沿って米国が後援した政権交代(2003~2004年にグルジアとウクライナで起きたカラー革命、失敗したが2009年のイランのアフマディーネジャードに対する緑の革命)とまったく同じ形式をとっている。

エジプトのゼネストと、ムバラク退陣を要求した大衆抗議に火をつけた1月25日の「怒りの日」を呼びかけたのは、「4月6日運動」を自称しているフェイスブックを基盤とした組織だった。この抗議運動は、実にしっかりと組織されていたため、ムバラクは、内閣を辞職させ、新たな副大統領にオマール・スレーマン(Omar Suleiman)将軍(前の諜報大臣)を任命するしかなかった。

「4・6運動」のリーダーは、アーメド・マーハ・イブラヒム(Ahmed Maher Ibrahim)という29才の一人の土木技師である。彼は、2008年4月6日にストライキを要望した労働者たちを支援するために、フェイスブックのサイトを設置した人物である。

2009年のニューヨークタイムズの記事によると、約80万人のエジプト人(大部分は若者)が、当時すでにフェイスブックまたはTwitterのメンバーだった。カーネギー財団(ワシントン拠点)とのインタビューで「4・6運動」のマーハは、「エジプトでフェイスブックやTwitterといったインターネット通信手段を使った初の青年運動として、我々は、政治のプロセスへの一般民衆の関与を奨励し、民主主義を推進することを目的としている」と述べている。[4]

また、マーハは、「4・6運動」は、国連の国際原子力機関(IAEA)の元トップでエジプト大統領に立候補したエルバラダイ(ElBaradei)のことを、エルバラダイのNAC連合(変化をもたらす全国協議会)とともに、支援すると公言している。NACの特筆すべきメンバーには、George Ishak(Kefaya運動のリーダー)、Mohamed Saad El-Katatni(問題のイフワーンまたはムスリム同胞団の議会派閥の長)がいる。[5]

現在展開中のエジプトの騒乱の核心にKefayaがいる。その背後で、それほど遠くない位置にいるのが、より用心深いムスリム同胞団である。

現在のところ、エルバラダイは、これからエジプト議会を民主化する中心人物として計画されている。奇妙なことに、彼は過去30年間、エジプトに住んでいないが、共産主義からムスリム同胞団、Kefaya、4・6運動の活動家に至るまで、考えうる限りのあらゆる範囲のエジプトの政治派閥から支持を勝ち取っている。[6] CNNのインタビューで見せたような最近のエルバラダイの落ち着いた物腰から判断して、彼は(理由の如何はとわず)ムバラク体制に反対していたエジプト軍の上層部や、ワシントンの非常に有力な人物の支援を受けているようだ。

Kefayaとペンタゴンの「非暴力の戦争」

Kefayaは、エルバラダイの立候補を支援するエジプト人の抗議デモを中心になって動員している。Kefayaという言葉は、「もうたくさんだ!」という意味である。

奇妙なことに、ワシントンのNED(民主主義基金)およびその関連のカラー革命のNGOの計画者たちは、エジプトのカラー革命にふさわしい覚えやすい名称を考案していないようだ。[7] 2003年11月のグルジアでのバラ革命では、米国が資金提供したNGOは、若者中心の政権交代運動を印象つけるため、"Kmara"というキャッチ・コピーを選定した。グルジア語の"Kmara"も「もうたくさんだ!」という意味である。

Kefayaと同様、グルジアのKmaraも、ワシントンが資金源になっているNEDなどの組織のトレーナーが作り上げていった。その組織の中には、ジーン・シャープが誤解を生むような名称をつけた「アルバート・アインシュタイン研究所」もあり、この研究所は、シャープがかつて「戦争の一手段としての非暴力」と名付けたものを活用している。[8]

Kefayaと同様、グルジアでも、様々な若者のネットワークが、分権されたゆるやかな細胞ネットワークとして巧みに育てられていた。中央集権された組織では、壊れる可能性があり、運動が断絶する可能性があるため、慎重なことに中央組織を設けないようにしたのである。活動家たちに対する非暴力の抵抗技術の訓練は、無害に見えるようにスポーツ施設で行われた。活動家たちは、政治的マーケティング、メディア対応、動員、人集めの技術を訓練された。

Kefayaの正式名称は、「変化を求めるエジプト人の運動(Egyptian Movement for Change)」である。2004年に、al-Wasat党(この政党はムスリム同胞団が設立したと言われている)のAbu'l-Ala Madi党首の自宅(地元)で、選び抜かれたエジプトの知識人たちによって設立された。[9] Kefayaは、ムバラク政権を終わらせるという趣旨だけで結束した連立運動によって設立された。

無組織の「4・6運動」の一部としてKefayaは、早くから新型の社会メディアとデジタル技術を動員の主要手段として利用してきた。特に、政治ブログ、無検閲のyoutube動画、写真の投稿が、とても素人とは思えない巧妙さで利用された。すでに2009年12月の段階の集会で、Kefayaは、2011年のエジプト選挙でモハメッド・エルバラダイの立候補を支持することを発表していた。[10]


ガイアナ滝kaieteur滝

ランド(RAND)社とKefaya

ランド社と同様に、米国の国防機関のシンクタンクが、Kefayaの詳細調査を実施してきた。ランド社自体が言及しているが、Kefayaの調査は、「国防長官の官房、統合幕僚会議、UCC(統合軍)、海軍省、海兵隊、防衛代理機関、防衛情報機関がスポンサー」になっていた。[11]

民主主義を志向する紳士・淑女の素敵な集団とは、とても思えない。

2008年にペンタゴンに提出した報告書で、ランドの調査者は、エジプトのKefayaに関して以下のように述べている。

特にサウジアラビア、アラブ首長国連邦、エジプト、レバノン出身のテロリストによる2001年9月の攻撃以来、米国はアラブ世界における一層の民主化に関心を表明してきた。この関心は、政治的暴力とテロによる不安定化を低減する努力の一環だった。ジョージ・W・ブッシュ大統領が、2003年にNEDに要請したように、「中東が自由の繁栄する地にならない限り、停滞と遺恨の地のまま残り、暴力を輸出する温床になる」(ホワイトハウス、2003年)。米国は、別の理由で開始されたとはいえ、民主的政府を設置することを最終目的の一つとした軍事的介入など、民主化を達成するために様々な手段を使ってきた。しかし、現地住民による改革運動ほど、彼ら自身の国の民主化を進めるのにふさわしいものはない。[12]

ランド社の研究員は、何年もかけ、「スウォーミング(swarming)」という手法で、新型の政権交代技術を完成させてきた。これは、デジタル技術でつながった若者の群集を活用し、蜂のスウォーム(群れ)のような動きの奇襲的な抗議の陣形を取る手法である。[13]

親米政権への交代を引き起こし、地球の完全支配(フル・スペクトル・ドミナンス)というペンタゴンの目標を前進させるため、過去十年以上、ワシントンとその監督下の厩舎に控える「人権」「民主主義」「非暴力」NGO団体は、ますます現地住民の抗議運動を「自然発生」的に育てる高度な技術に頼るようになった。Kefayaの調査をしたランド社が、結論としてペンタゴンに勧告している。

「米国政府は、米国・国際開発局や国連開発計画などの組織を通じて、すでに改革運動を支持している。この地域において、現在、米国に対する民衆の否定的な態度があることを考えると、米国による改革運動の支援は、非政府組織、非営利団体を通じて行うのが最善である。」[14]

2008年のランド社の調査では、エジプトなどの「改革」運動に対する米国政府の支援のあり方が、更に具体的に記載されている。

米国政府は、非政府組織を助成し、民主改革の達成に向け、連立の築き方の指導、内部の差異の調整方法など、改革運動者の訓練を提供させるべきである。アカデミックな機関(あるいは、共和党国際研究所、民主党国際問題研究所など米国の政党に関連した非政府組織)が、そうした訓練を提供可能であり、それによって改革のリーダーたちは、平和的・民主的に差異を調停できるようになるだろう。

四番目に、米国は、改革運動家たちが情報テクノロジーを活用できるよう手助けするべきである。これは恐らく、米国の企業に当該地域における通信インフラ・情報テクノロジーに投資するインセンティブを与えることで実現できるだろう。米国の情報テクノロジー企業は、改革運動家のウェブサイトが稼動状態を維持できるように手助けすることもできるし、政府の監視を逃れるようシェルターを提供する匿名化技術などにも投資することができる。これは、現政権が改革運動家のウェブサイトを妨害するのを防ぐ保護技術の採用によっても達成可能であろう。[15]

ランド社のKefaya調査書に述べてあるが、これは2008年に「調達・テクノロジー・兵站担当の国防次官・事務局の高速反応技術事務局がスポンサーとなり、ランド社の国家安全保障研究部・代替戦略イニシアティブ」が準備した。

さらに問題を明瞭にすることになるが、代替戦略イニシアティブは、「メディアの創造的な活用、若者の過激化、派閥間の暴力を止める市民の関与、不満を抱えた社会領域の民衆を動員する社会サービスの提供、本巻のテーマである代替運動に関する研究」も行っている。[16]

ムバラクに会うためにオバマがカイロを訪問する直前の2009年5月、ヒラリー・クリントン国務長官は、ワシントンにおいてフリーダムハウス主催で多くの若手エジプト人活動家を接待した。フリーダムハウスは、ワシントンを拠点とする「人権」団体(NGO)であり、セルビア、グルジア、ウクライナなどカラー革命(米国が資金支援した政権交代)に関与した長い歴史をもっている。クリントンとジェフリー・フェルトマン国務次官補代行(中近東問題担当)は、フリーダムハウスの新世代プログラムが実施した2ヵ月の「交流会(フェローシップ)」の締め括りに、16人の活動家に会った。[17]

フリーダムハウスとNED(ワシントンの政府が資金提供する政権交代NGO)は、現在イスラム世界を席捲している動乱の核心にいる。彼らは、アフガニスタンからモロッコに至るイスラム諸国に「民主主義」と「リベラルな自由市場」の経済改革をもたらすため、ジョージ・W・ブッシュが2001年より「大きな中東プロジェクト」と宣言してきた地理的な範囲に対応している。ワシントンが「リベラルな自由市場改革」を導入すると言い出したなら、人々は注意しなければならない。それは、ドル体制にまつわるすべてのくびきに経済を束縛させることを意味する暗号にすぎない。

より大きな目標に従事するワシントンのNED

チュニジアとエジプトの事件以来、大衆抗議運動が発生している地域の国をリストにして地図にしてみると、2001年以後ジョージ・W・ブッシュ大統領の期間に初めて明らかになったワシントンの「大きな中東プロジェクト」の当初の地図とほぼ完全に一致していることがわかる。

ワシントンのNEDは、2001-2003年の米国によるアフガニスタンとイラク侵略以降、北アフリカと中東の全域で政権不安定化の波を起こすことに、秘かに携わってきた。NEDの活動地域のリストには、事実が露出している。NEDのウェブサイトを見ると、そのリストには、チュニジア、エジプト、ヨルダン、クウェート、リビア、シリア、イエメン、スーダン、そして興味深いことに、イスラエルもある。偶然にも現在、これらの諸国のほとんどは、民衆による「自然発生」の政権交代蜂起を経験している。

ランド社のKefaya調査書に言及されている共和党国際研究所と民主党国際問題研究所は、ワシントンに拠点を持ち、米国議会が資金を出しているNEDの補助組織である。

NEDは、政権不安定化・交代に向けて調整を行うためのワシントンの代理機関である。NEDは、チベットからウクライナまで、ベネズエラからチュニジアまで、クウェートからモロッコまで、ソ連崩壊後の世界を、1991年のジョージ・H・W・ブッシュが議会宛ての演説で「新世界秩序の夜明け」と勝ち誇って宣言した世界へと再構築する活動をしている。[18]


4人の米国は何ですか

NEDの考案者であり最初のトップをつとめたアレン・ウェインスタイン(Allen Weinstein)は、「今日我々が行っていることの多くは、25年前ならばCIAが隠密活動でやっていたことだ」と1991年にワシントンポストに語っている。[19]

NEDの理事会には、元国防長官でCIA副長官のフランク・カールッチ(カーライル・グループ)、NATOで司令官をしていたウェズレー・クラーク、ネオコンのタカ派ザルメイ・ハリルザド(ジョージ・W・ブッシュのアフガニスタン侵略を立案し、後にアフガニスタン、占領下のイラクで大使をつとめた)などが(過去も含め)いる。また、NEDの理事にはヴィン・ウェーバーもいる。彼は、アラブ世界に対する米国の政策に関する独自タスクフォースの共同議長を元国務長官のマデライン・オルブライトと一緒につとめるとともに、ディック・チェイニーやドナルド・ラムズフェルドとともに、超タカ派の「新しいアメリカの世紀プロジェクト」というシンクタンク(早くも1998年の段階でイラクの強制的な政権変更を主張していた)を設立した� ��ンバーでもある。[20]

NEDは、民間の非政府の非営利の基金であることになっているが、米国議会から国際活動費として毎年の予算を割り当てられている。NEDは、米国の納税者に資金的に依存しているが、政府機関ではないということで、通常の議会の監視の対象外である。

NEDの資金は、4つの「中核的な基金」を通じて標的国に投入される。民主党国際問題研究所(民主党につながっている)、共和党国際研究所(共和党につながっている)、労働者国際連帯アメリカ・センター(国務省とAFL-CIO米国労働者連合につながっている)、国際民間企業センター(自由市場の米国商工会議所とつながっている)である。

政治評論家の故バーバラ・コンリーは、こう言った。

NEDは、民間団体という地位を利用して、外国の選挙に影響を及ぼしている。これは、AIDまたはUSIAの範囲を超えた活動であり、CIAの秘密工作でもなければできないはずの活動だ。同じような活動を米国で行う外国の組織があるとしたら、違法であることも述べておく価値があるだろう。[21]

重大なことに、今日、NEDは、さまざまなプロジェクトをイスラム諸国で行っている。エジプトに加え、チュニジア、イエメン、ヨルダン、アルジェリア、モロッコ、クウェート、レバノン、リビア、シリア、イラン、アフガニスタンである。要するに、現在中東と北アフリカの全域を覆っている改革抗議運動の震動を感じているほとんどの国は、NEDの標的国である。[22]

2005年、ジョージ・W・ブッシュ大統領は、NEDに演説をした。「イスラム急進主義」を新しい敵として、共産主義の悪魔と同一視する長くとりとめのない演説の中で、また、イスラム世界で多大な不信感を募らせた「大きな中東」の代わりに、よりソフトな印象を与える意図で「広い中東」という言葉を使いながら、ブッシュは述べた。

テロとの戦いにおける我々の戦略の第5の要素は、広い中東全域において、憎悪と憤怒を民主主義と希望に入れ替え、戦闘員になろうという人間をなくすことである。これは困難で長いプロジェクトであるが、他に代替策はない。我々の将来とこの地域の将来はつながっている。広い中東が苦々しいまま成長し、諸国が惨めな状態のまま放置するならば、過激派たちが何百万人もの憤怒を煽り、世界の中のこの地域は、我々と将来の世代にとって、終ることのない紛争と募る危険の温床となるだろう。この地域の人々が自ら運命を選ぶことを許され、自らのエネルギーにより、自由な男と女として自ら参加することで前進することが許されるならば、過激派は追いやられ、残りの世界に対する暴力的な過激主義も減衰し、いつか終� ��する。

我々はエジプトとサウジアラビアを含む中東の友人に対し、改革の道のりを選ぶこと、自らの国民の権利と選択を尊重することにより、テロとの戦いにおいて自らの社会を強化することを勧めている。我々は、抑圧的な政権に対する反体制派や亡命者の味方である。我々は、今日の反体制派が明日の民主主義のリーダーになることを知っているからだ。[23]

「大きな中東」に向けた米国のプロジェクト

チュニジアからスーダン、イエメンからエジプト、シリアへと拡大し続けているワシントンの政権転覆活動は、アフガニスタンのカブールからモロッコのラバトに至るイスラム世界全体を対象として長期的なペンタゴンと国務省の戦略という文脈で理解すると最もわかりやすい。

旧ワルシャワ条約の東欧の共産圏の政権交代での成功経験に部分的に基づいたワシントンの戦略の概要は、元ペンタゴンのコンサルタントでネオコンのリチャード・パールによって描かれ、後に、ブッシュ政権の役人だったダグラス・ファイトが、当時新しかったイスラエルのリクード党政権(ベンジャミン・ネタニヤフ)のために1996年に作成した白書で描かれた。

その政策勧告は、「突然の中止:領域を確保する新戦略」というタイトルだった。これは、イラクのサダム・フセインを除去し、パレスチナ人に対する攻撃的な軍事姿勢を取ること、シリアとレバノンのシリア人を攻撃することを初めて公然と求めたワシントンのシンクタンクの文書だった。[24] 伝えられるところでは、当時のネタニヤフ政権は、あまりにも危険な文書ということで、パール・ファイト報告を葬り去ったという。

2001年9月11日の事件が起き、パールたちを取り巻く超タカ派のネオコンがワシントンに復帰した頃には、ブッシュ政権はパール・ファイト報告をさらに拡大バージョンにしたものを「大きな中東プロジェクト」と名付け、最高の優先順位を与えていた。ファイトは、ブッシュ政権の国防次官に任命された。

この地域全体で独裁政権を民主化改革するという見せ掛けの宣言の裏側では、「大きな中東」は、米国の軍事支配を拡大し、モロッコから中国・ロシア国境までの全域で各国管理下の経済をこじ開ける基本計画になっていた。現在もそうである。

2009年5月、米国のバグダード爆撃の瓦礫が片付け終わらない内に、ジョージ・W・ブッシュは、全域に「民主主義を拡大する」方針を宣言し、その意味は「10年以内に米国と中東の自由貿易エリアを確立する」ことだと明確に述べた。彼は、民主主義の偉大な友人としては記憶されていない大統領である。[25]

2004年6月にグルジアのシーアイランドで行われたG8サミットに先立ち、ワシントンは「G8と大きな中東のパートナーシップ」という報告書を出した。

「経済機会」という見出しの章には、「旧共産圏の中欧・東欧諸国が行った規模に匹敵する経済変革」を大袈裟に求めるワシントンの要求があった。


その鍵は、繁栄と民主主義への過程として民間部門を強化することにあると、その報告書は述べていた。報告書では、「毎年たった1億ドルを5年間、一人当たり400ドルのローンにより、120万人の事業主(その75万人は女性)を貧困から解放することになる」と、あたかも小規模金融の奇跡を通じて民間部門の強化が成し遂げられるような誤解を招く主張がされていた。[26]

米国は、表面的には国際的な新組織だが実態的には世界銀行やIMFのようにWTOなどワシントンが支配する金融機関によって地域の銀行・金融を乗っ取る構想を描いていた。ワシントンの長期プロジェクトの目的は、完全に石油を支配すること、完全に石油収入を支配すること、完全にこの地域(モロッコから中国国境までのすべて)の経済全体を支配することにある。このプロジェクトは、絶望的であると同時に大胆である。

2004年にアラブ圏のアルハヤト紙がG8の米国の文書を漏洩すると、それに対する反対が地域全体に拡大し、米国が規定する「大きな中東」への大きな反発となっていった。2004年4月のフランスのル・モンド・ディプロマティク紙の記事が伝えたように、「アラブ諸国の他に、アフガニスタン、イラン、パキスタン、トルコ、イスラエルも対象になっている。その共通因子といえば、唯一、米国に対する強い反発がある地域にあるということ、イスラム原理主義が反西側という形で最も熾烈な地域ということ」であった。[27]

NEDは、イスラエル国内でも、数多くのプログラムを実施して、積極的に活動している点は留意すべきである。

特筆すべきことに、2004年、中東の二人のリーダー(エジプトのホスニ・ムバラクとサウジアラビアの王)による激しい反対で、ブッシュ政権のイデオロギーの熱狂者は「大きな中東プロジェクト」を一時的に棚上げせざるをえなくなっている。

うまくいくのか?

この記事の執筆時点では、最近のイスラム世界全域に対する米国主導の不安定化が最終的にどのような結末をもたらすのかは、不明である。ワシントンと米国支配の新世界秩序の賛同者にとって、どんな結果になるのか不明である。彼らの目標は、いつかアメリカの秩序から離脱するという楽しい考えを持ちかねない中国、ロシア、EUの将来の資本・エネルギーの流れをコントロールする主要手段として、米国がしっかりと掌握する「大きな中東」を作ることにあるのは明らかである。

それは、同時に、イスラエルの将来にとっても大きな意味を持つ可能性がある。ある米国の解説者が言っていたが、「現在のイスラエルの計算では、もしムバラクが行けば(通常は「アメリカがムバラクが行くのを許すならば」という言い方をする)、エジプトが行く。チュニジアが行けば(同上)、モロッコとアルジェリアも行く。トルコは、すでに行った(ひとえにイスラエル人のせいである)。シリアは行った(イスラエルがシリアをガリラヤ湖にアクセスできないよう切り離したかったのが原因でもある)。ガザはハマスに行った。そして、パレスチナ自治政府も、間もなく(ハマスに?)行くことになるだろう。こうして、地域を軍事支配する政策の廃墟の最中に、イスラエルは残る。」[28]

ワシントンの「創造的破壊」戦略は、イスラム世界に眠れない夜をもたらしていることは明らかであるが、伝えられるところではテル・アビブ(イスラエル)も同様であり、いまや北京とモスクワ、中央アジア全域までもが同じ状態のようだ。

(翻訳:為清勝彦 Japanese translation by Katsuhiko Tamekiyo)

関連情報

エルバラダイとムスリム同胞団の駆け引き (カレイドスコープ)

脚注

[1] DEBKA, Mubarak believes a US-backed Egyptian military faction plotted his ouster, February 4, 2011, accessed in www.debka.com/weekly/480/. DEBKA is open about its good ties to Israeli intelligence and security agencies. While its writings must be read with that in mind, certain reports they publish often contain interesting leads for further investigation.

[2] Ibid.

[3] The Center for Grassroots Oversight, 1954-1970: CIA and the Muslim Brotherhood ally to oppose Egyptian President Nasser, www.historycommons.org/. According to the late Miles Copeland, a CIA official stationed in Egypt during the Nasser era, the CIA allied with the Muslim Brotherhood which was opposed to Nasser's secular regime as well as his nationalist opposition to brotherhood pan-Islamic ideology.

[4] Jijo Jacob, What is Egypt's April 6 Movement?, February 1, 2011, accessed in http://www.ibtimes.com/

[5] Ibid.

[6] Janine Zacharia, Opposition groups rally around Mohamed ElBaradei, Washington Post, January 31, 2011, accessed in http://www.washingtonpost.com/.

[7] National Endowment for Democracy, Middle East and North Africa Program Highlights 2009, accessed in http://www.ned.org/where-we-work/.

[8] Amitabh Pal, Gene Sharp: The Progressive Interview, The Progressive, March 1, 2007.

[9] Emmanuel Sivan, Why Radical Muslims Aren't Taking over Governments, Middle East Quarterly, December 1997, pp. 3-9

[10] Carnegie Endowment, The Egyptian Movement for Change (Kifaya), accessed in http://egyptelections.carnegieendowment.org/

[11] Nadia Oweidat, et al, The Kefaya Movement: A Case Study of a Grassroots Reform Initiative, Prepared for the Office of the Secretary of Defense, Santa Monica, Ca., RAND_778.pdf, 2008, p. iv.

[12] Ibid.

[13] For a more detailed discussion of the RAND "swarming" techniques see F. William Engdahl, Full Spectrum Dominance: Totalitarian Democracy in the New World Order, edition.engdahl, 2009, pp. 34-41.

[14] Nadia Oweidat et al, op. cit., p. 48.

[15] Ibid., p. 50.

[16] Ibid., p. iii.

[17] Michel Chossudovsky, The Protest Movement in Egypt: "Dictators" do not Dictate, They Obey Orders, January 29, 2011, accessed in http://www.globalresearch.ca/

[18] George Herbert Walker Bush, State of the Union Address to Congress, 29 January 1991. In the speech Bush at one point declared in a triumphant air of celebration of the collapse of the Sovoiet Union, "What is at stake is more than one small country, it is a big idea?a new world order..."

[19] Allen Weinstein, quoted in David Ignatius, Openness is the Secret to Democracy, Washington Post National Weekly Edition, 30 September 1991, pp. 24-25.

[20] National Endowment for Democracy, Board of Directors, accessed in http://www.ned.org/about/board

[21] Barbara Conry, Loose Cannon: The National Endowment for Democracy, Cato Foreign Policy Briefing No. 27, November 8, 1993, accessed in http://www.cato.org/pubs/fpbriefs/fpb-027.html.

[22] National Endowment for Democracy, 2009 Annual Report, Middle East and North Africa, accessed in http://www.ned.org/publications/annual-reports/2009-annual-report.

[23] George W. Bush, Speech at the National Endowment for Democracy, Washington, DC, October 6, 2005, accessed in http://www.presidentialrhetoric.com/speeches/10.06.05.html.

[24] Richard Perle, Douglas Feith et al, A Clean Break: A New Strategy for Securing the Realm, 1996, Washington and Tel Aviv, The Institute for Advanced Strategic and Political Studies, accessed in www.iasps.org/strat1.htm

[25] George W. Bush, Remarks by the President in Commencement Address at the University of South Carolina, White House, 9 May 2003.

[26] Gilbert Achcar, Fantasy of a Region that Doesn't Exist: Greater Middle East, the US plan, Le Monde Diplomatique, April 4, 2004, accessed in http://mondediplo.com/2004/04/04world

[27] Ibid.



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