掲載2011年2月7日
訳者メモ
エジプトの動乱をウィリアム・イングドールが分析した記事です。私はテレビを見ないのでどういう報道がされているのか知りませんが、民衆の不満エネルギー(これは実在)を利用し、ツイッターなどの最新通信手段を使って政権転覆を図るカラー革命の一つだろうと思ってました。それで間違っていないようです。
カラー革命については、ウィキペディアの記事を参照(ここでもアメリカの「非政府=民間」団体が革命の工作に関与していることが書いてあります)。
ウィリアム・イングドールには、"Full Spectrum Dominance"(完全支配のシリーズ・タイトルにしてます)というペンタゴンの戦略(カラー革命など)をテーマにした著作があります(今のところ邦訳予定なし)。
さて、2月6日のデーヴィッド・アイクのニューズレターも、「エジプトの『革命』:もっともな理由の抗議が操られ利用されている」というタイトルで、同じような内容になっています。以下に簡単に紹介しておきます。
・最終的に誰が政権を握るかに注目しよう。何事も白黒はっきりというよりは、灰色だ。ムバラク(米国・イスラエルの操り人形)からエルバラダイ(同じ。ソロスの代理人。ソロスのThe International Crisis Groupの役員)へ交代。副大統領になったオマール・スレイマン(Omar Suleiman)は、今まで諜報機関のトップとして国民を弾圧してきた人物。
・ロスチャイルド・シオニストの「大イスラエル」構想、世界独裁への過程。
・19世紀のアルバート・パイクの言葉:「三つの世界大戦」を経た世界支配。三つ目の戦争は、シオニスト(イスラエル)とイスラム世界(アラブ)の戦い。
・最近、キッシンジャーが「これはドラマの第一幕の最初のシーンに過ぎない」と発言(ブルームバーグ・ニュース)。
ところで、デーヴィッド・アイクは、今回の記事でもウィキリークスの暴露情報を参照利用していますが、私の知る限り、今のところウィキリークス自体のインチキには言及がありません。利用できるものは利用すればよいという考えかもしれませんが、彼ほど情報量がありながら、そこに注意を促さないのは、何故なのかちょっと疑問です。
F・ウィリアム・イングドール
By F. William Engdahl
(
2011年2月5日
チュニジアの政権交代の余波を受け、エジプトで揺ぎ無い体制を敷いていたホスニ・ムバラク大統領に対する大衆抗議運動が1月25日に始まった。これについて意図的に「オバマ政権は現在のムバラク体制を維持しようとしている」という印象が与えられているが、事実は反対であり、ワシントンがエジプト人を駆り立てている。他の国(シリア、イエメン、ヨルダン)と同じだ。その先には「創造的破壊」と言われるプロセスがある。
こうした隠密活動による政権交代の雛形は、ペンタゴン、米国の諜報機関、ランド社(RAND)などさまざまなシンクタンクによって過去何十年にわたり開発されてきた。その最初のものが、1968年5月のフランスのドゴール大統領の不安定化工作である。今回は、約20年前に米国が東ヨーロッパ諸国で同時に工作を始めた一連の政権交代以来である。これはある種の自暴自棄から生じた作戦であり、ペンタゴンとウォール街の長期目標に照らすと、彼らも大きなリスクなしに行っているわけではない。この地域と世界の人々にとって、どのような結末をもたらすのかは、まだ不明瞭である。
カイロなどエジプト全域、さらにイスラム世界で発生している暴力的な街頭抗議が最終的にどのような結果を迎えるのかは不明だが、米国の隠密作戦の大略はすでに明白である。
数百万人が生命の危険をおかしてまで街頭に繰り出す動機となっている政権に対する本当の不満については誰も異議を唱えることはできない。ムバラク政権の極悪さ、反対勢力に対する抑圧と拷問については、誰も弁護できない。シカゴとウォール街の商品投機筋により、また、アメリカの農地をエタノール燃料用のトウモロコシ栽培というばかげた用途に変えたことにより、食料品価格が爆発的に上昇し、穀物価格が天井を抜けて上昇したことに、誰も異議を唱えることはできない。エジプトは世界最大の小麦輸入者であり、大半の輸入先は米国である。シカゴの小麦先物は、2010年6月から11月の間に74%もの驚異的な上昇となり、これによって、政府補助金にもかかわらず、エジプトの食糧価格は約30%のインフレになった。
今回のエジプトの報道で、CNN、BBCなど西側のメディア全般が無視していることは、エジプトの内政でひどい行き過ぎがあったとはいえ、ムバラクは、この地域で米国の大きな目標を阻む大きな障害だったという事実である。
オバマとムバラクの関係は、最初から氷のように冷たかったと言っても誇張ではない。ムバラクは、イランとその核開発計画に関するオバマの政策に対し、また、ペルシャ湾、シリア、レバノン、パレスチナ人に対するオバマの政策に対し、頑なに反対していた。[1]ムバラクは、この地域全体、ワシントンの「大きな中東プロジェクト」(最近ではよりマイルドな表現で「新しい中東」と言い換えられている)に対するワシントンの大きな目標にとって手ごわいトゲだった。
北アフリカと中東で何百万もの人々を街路に駆り立てている要素が現実であるのと同じように、無視できない現実として、ワシントンはタイミングを見計らっており、時機が到来したと判断すれば、イスラム世界全体の包括的な政権交代による不安定化という究極の目的を達成しようとしている。実に素晴らしくまとめられた大衆デモがムバラクの退陣を要求していた日に、エジプト軍司令部の主要メンバー(参謀長のサミ・ハーフェツ・エナン中将など)は、全員がペンタゴンに招かれてワシントンにいた。このため、都合の良いことに、圧倒的な軍の力を使って、反ムバラクの抗議を初期の重要なタイミングで阻止することができなかった。[2]
この作戦は、少なくとも10年前には、国務省とペンタゴンの様々な書類の中にあった。2001年にジョージ・W・ブッシュが「テロとの戦い」を宣言すると、それは「大きな中東」プロジェクトと名付けられた。今日では、もっと穏当な響きのする「新しい中東」プロジェクトと言われている。それは、モロッコからアフガニスタンまでの地域(図を参照)の諸国をこじ開ける戦略である。この地域は、デーヴィッド・ロックフェラーの友達のサミュエル・ハンティントンがフォーリン・アフェアーズ誌に書いた悪名高い論文「文明の衝突」で定義された。
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