2012年4月29日日曜日

旅の絵本を遊ぶ4(アメリカ編)コンパクト解説


旅の絵本を遊ぶ4(アメリカ編)コンパクト解説
コンパクト解説「旅の絵本を遊ぼう」4(アメリカ編)

旅の絵本4作目はアメリカ編です。前作の舞台であったイギリスの植民地からスタートして独立。若々しい国家です、とはいえ忘れてはいけないのは先住民の存在です。 文化と自然を楽しみましょう。そして、アメリカと言えば映画です。各シーンに映画の場面がちりばめられています。そのうちどれだけ見つけられるか楽しみです。

「旅の絵本」4

「表紙・裏表紙」

0)旅人は・・・ニューヨークはマンハッタンの摩天楼の中を馬で行きます。
基本的な視点は、セントラルパーク方面から南に向かって見ている配置を基準に描かれているようです。
大都会から始めるというのが、アメリカ編らしいですね。もっとも、大都会の郊外には、大自然が隣接しているのが、安野さんらしいです。

1)旅人の前では新聞(号外?)を配っている人がいます。何が起こったの か?
2)星条旗のビル  旅人の目の前には、独立13州を象徴する赤と白のストライプと、現在の州の数を表すスターが描かれています。青地に描かれる星は50の州の数を表します。
3)キング・コング  旅人の後方のビルの屋上にいます。1933年に作られた映画からですね。配っている号外は『キングコング』の出現についてでしょうか。
キング・コングは人間の都合でもてあそばれる自然を象徴しているように思います。映画の最後ではエンパイヤステートビルに登っていましたが、今登っているビルは??

4)エンパイヤステートビル 題字の右側に描かれています。 高さ443mは、当時世界一位だったクライスラービルを抜いて長く世界一高いビルでした。マンハッタンを代表するラウンドマークですね。そして、アメリカを象徴するビルですね。キングコングもこのビルに登りました。日本の特撮映画なら、東京タワーの役回りですね。Empire State Building写真
4)パンナムビル 題字の左側に「PANNAM」と記されたビルがあります。アメリカを代表するパンアメリカン航空の持ちビルで、マンハッタンのランドマークの一つであったのですが、湾岸戦争後の航空業界の苦境の中、1991年に倒産して、ビルも売り払われてしまい、メットライフ(Met Life)ビルとなっています。第4巻ができたのが1983年まだパンナム航空も元気でした。Met Life Building写真
5)世界貿易センタービル  エンパイヤステートビルの奥に、霞むように描かれているツインタワー 。417mの建物の上にさらにのびるアンテナ(尖塔部)を加えて528mになります。この高さは、それまでの世界一の高さを誇っていたエンパイヤステートビル(443m)を抜いて、当時(1973年)世界一になりました。設計は日系アメリカ人のミノル・ヤマサキでした。
2001.9.11の同時多発テロによって今ではその姿を見ることができなくなってしまいました。
6)外輪船 題字左上の海上に描かれた船は外輪船のようです。その昔、ニューヨークを訪れた船ということでしょうか。
7)自由の女神  ヨーロッパからアメリカを訪れた移民の人たちがニューヨークで最初に見るのがリバティー島の自由の女神。ということで、外輪船のすぐ近く、背表紙に出るように、描かれています。自由の女神といえばアメリカの象徴ですが。元々は、アメリカ独立100周年を祝ってフランスから贈られたものです。
ちなみに、リバティー島はニューヨーク州ではなくニュージャージー州にあります。
8)クライスラービル  裏表紙に回り込んで、パンナムビルの左にそびえています。建設当時は自動車のクライスラーのビルだったようです。このビル当初高さ283mで世界一でしたが、直後にウォール街にウォールタワーが高さ284mで完成。そこでビルの上に36mの尖塔と追加して319mにして世界一を確保。ところが、翌年(1931年)にできたエンパイアステートビルに世界一の座を奪われました。
クライスラービル写真
9)裏表紙の真ん中下のビルに、ANNO 1983と記されています。ANNOは、安野さんの意味と西暦の意味を兼ねています。そして、1983はアメリカ編の出版の年というわけです。安野さん各巻に潜り込ましています。
10)吊り橋 海をまたぐ橋が見えます。雰囲気は、サンフランシスコ� ��ゴールデンゲートブリッジ(金門橋)でしょうか。
  マンハッタンから見ることのできる吊り橋なら、マンハッタン島南端付近とブルックリン区を結ぶブルックリン橋(Brooklyn Bridge)(全長1,834m、中央径間は486m)あるいはマンハッタン橋(Manhattan Bridge)(全長 2,089 m )との可能性が高いと思います。さらに、細かく位置関係を考慮に入れるとウィリアムズバーグ橋(Williamsburg Bridge)と考えるのが最も妥当のように思います。
11)ナイアガラの滝 海のはずなのに何となく川のように見えて・・・ナイアガラの滝が出現です。安野さんらしい見事なだまし絵ですね。
12)滝のそばには小屋が建っています すごい水音とやら水しぶきやら大変な環境でしょうね。

「扉」
サイロの見える牧場地帯を旅人が馬で行きます。二人の子どもが旅人を見送ってくれます。アメリカといえば大都会ですが、国土のほとんどは田舎です。その田舎を大切にするのが安野さんらしいです。1巻と2巻と同じように、鏡の絵になっています。

シーン1西海岸(p1〜2) 
0)旅人は 船でやってきました。3巻のイギリスからやってきたのですから東海岸のはずなのですが・・・ぐるーっと回って西海岸側です。旅人の進行方向を自然にするために西から東へ向かう旅にしたようです。旅人は、東から西へ向かう開拓者達とすれ違うことになります。
1)氷原を行く犬ぞり  アラスカも合衆国の大切な州の1つ。そ� ��にある犬ぞりとくれば、アメリカ先住民の1つイヌイット(エスキモー)の犬ぞりと言うことでしょう。
2)サーファーと海水浴客が旅人に手を振っています
この島は、合衆国のハワイ州をイメージしているのでしょう。
3)フラダンスをおどる人たち
 ここにも、アメリカ先住民と言うことになります。ハワイと言えば、フラダンス。楽器はウクレレのはずですが、大きさはギターっぽいですね。
5)カヌーをこぐ3人の人 
 この人達はハワイの人でしょうか。
 あるいは、アラスカ、ハワイときたのですから、カリブ海にある自由連合州プエルトリコの先住民をイメージしているのではという説もあります。

シーン� �上陸(p3〜4)

0)旅人は サンフランシスコ郊外にある小さな漁港にやってきました。早速、旅の友になる馬を手に入れたようです。ついでに、これから行く道について情報収集もしています。
1)お母さんと山羊をつれた子どもがいます。
 近くに郵便受けがありますが。少し家から離れすぎています。
この少年は、映画『シェーン』(Shane)にでてくる少年ジョーイを感じるのですがいかがでしょう。とするとバケツを持った女性は母のマリアンで、旅人と話しているのが父のジョー・スターレットというわけです。そして、旅人は、シェーンの役回りというわけですが。いささか妄想気味ですか??ただ、安野さん『シェーン』がお気に入りで、この後にも何度か出てきます。
7)つり竿を持った老人が骨だけになった大魚を引きずっています。そして、子どもが付き添っています。これは、アーネスト・ヘミングウェイの『老人と海』(The Old Man and the Sea)からでしょう。安野さんは、この話が好きなんでしょうね。第3巻にも出てきました。
8)浜に小舟が2艘あげられています。一艘は、旅人の乗ってきた船。一艘は老人の船でしょうか。
9)魚屋さんの向こうの家は?壁にある丸いものは??車輪でしょうか、なら車屋さん。それともバラ窓でしょうか?田舎の家にはふさわしくないようですが。
15)子どもが立っている家は、2階が随分せり出しています。雨よけには良いけど、構造的には心配ですね。
19)岬の岩場で一人で釣りをしている老人(?)がいます。これも、『老人と海』の老人を連想させます。
20)旅人の向こうに熊がいます。グリズリーベア(ハイイログマ)のようです。ヒグマの仲間 で、肉食傾向の強い、強力なクマです。家畜を襲うこともあり、おそれられていましたが、現在のカリフォルニアでは絶滅しています。ですから、ヨセミテなどに出てくるクマは、ブラックベアで、比較的おとなしいクマですね。映画『グリズリー』のイメージでここに出てくるのでしょうか。
21)クマの左には、トーテムポールが立っています。先住民が自らの部族を象徴する動物が彫られています。人と動物をつながっていると考える、先住民文化の象徴ですね。
22)橋が架かっています。こちらは間違いなくゴールデンゲートブリッジ(金門橋)でしょう。アメリカ西海岸のサンフランシスコ湾と太平洋が接続するゴールデンゲート海峡に架かる吊り橋です。主塔の間の長 さ(中央径間、支間)が1,280メートル、全長2,737メートル。主塔の高さは水面から227メートル。1837年の完成時から1964年まで世界最長の橋でした。今でも、美しく観光名所です。その一帯は国立公園に指定されています。
23)霧の向こうには、サンフランシスコの街が見えています。
24)三角形にとがった建物は、トランスアメリカ・ピラミッド・ビルです。48階建てで高さ256m、サンフランシスコのシンボルですね。

シーン3 石油採掘(p5〜6)

0)旅人は、乾燥地帯の原野を悠然と行きます。
1)左上 3人のネイティブアメリカン(アメリカインディアン)が馬に乗ってゆきます。この3人次のシーンにもあらわれます。なにか、元ネタがありそうですが不明です。
この一帯、白人が現れる前のアメリカ先住民の生活を表したもの・・とも考えましたが、コロンブス以前に新大陸に馬はいませんから・・・イギリスからの植民が始まる前ですかね。
あるいは、チェロキー族等の強制移住を象徴しているのかも
2)ティピーが3つ描かれています。平原「インディアン」の組み立て式住居です。支柱が円錐状に立てられていて、テントの中央には柱がなくて、� �ん中で火をたくことが可能です。煙などは中心の柱が交差するところから抜けていくのです。なかなか優れもののテントです。元々幕はバッファローの毛皮で作っていたようですが、後には布を使うようになります。絵のテントは、布を使っています。そして、ティピーにはバッファローが描かれています。
3)バッファローが4頭います。
 狩猟を中心とするネイティブアメリカンは、バッファローと共にあったといえます。白人によって、バッファローが絶滅されることで、伝統的生活が不可能になってしまいます。
4)リンゴを持って、木の苗を指さしながら女性と話している人がいます。
 この人は、ジョン・チャップマンです。通称ジョニー・アップルシー� ��。りんごの木を植えた人として、伝説上の実在人物です。
リンゴは育ちやすく収穫しやすい作物なので、キリスト教の宣教師であったアップルシードは、、西部各地を回って苗木を提供して回ったのだそうです。その姿は、麻布のコーヒー豆の袋を身にまとい、ブリキの鍋を頭にかぶった裸足の男とあります。安野さんの絵では、スーツを着ていて宣教師らしいですね。
 彼は、人だけではなく全ての生き物に対しても大きな愛を持って接していて、開拓民はもとよりネイティブアメリカンにも慕われていたそうです。40年後の1845年、インディアナ州、フォートウェーンで亡くなりました。

5)丸太小屋に住む開拓者の生活が描かれています。
これは、ローラ・インガルス・ワイルダーの物語『大きな森の小さな家(Little House in the Big Woods)』の挿絵からです。
この話を元に作られたアメリカのTVドラマが『大草原の小さな家』です。
6)小屋の前ではバターを作っている女の子がいます。ローラです。
7)木に何か差し込んで、樹液を採集しています。これは、カエデの木から甘い樹液を集めているのです。
8)小屋の左側で、木の間に大きな鍋をつるして煮詰めています。これは、先ほどの樹液を煮詰めてメイプルシュガーを作っているところです。
右の絵はCurrier & Ivesによる『Maple Sugaring』という絵です。同じようにメイプルシロップを作成中です。
安野さんの絵は、鍋を木と木の間に渡した棒に吊していますが・・・木が傷んでしまいそうです。
10)女の人が何か塔のようなもののところで何かしています。お母さんが肉の燻製を作っているところです。
11)カエデの木の下にとても小さな家があります。これは、バージニア・リー・バートンの絵本『ちいさいおうち』からです。
丘の上に建つ小さなおうち・・・しだいに周囲が大都会になって、ビルの谷間に埋もれてしまいます。
そして・・・・
12)バスケットボールをしている若者達がいます。
 バスケットボールは、1891年にアメリカのJ・ネイスミス博士によって考案されたスポーツです。
 ところで、このゴールポストやけに高いです。この高いゴールポストにたいそうなほどジャンプしようと思ったら、とんでもないことです。そんなにジャンプしてないとすると、ずっと向こうでジャンプしていることになります。安野さん得意のだまし絵ですね。
13)バスケットボールを見ている3人は、開拓時代の服装ですね
14)小屋で洗濯物を干しています。女性の所のドラム缶などは、調理用でしょうか?
15)高い井戸が設置されています。石油掘削用 の井戸だと思います。右の絵は、古い時代の採掘用の井戸です。
16)旅人の手前には 幌馬車で旅している人が、調理中です。何かの映画のワンシーンかもしれません
西部開拓者の一人と考えればいいのかも
開拓時代f調理道具類についてはこのHPを(英語です)

シーン4モニュメントバレー(p7〜8)

0)旅人は 西部劇の舞台として有名なモニュメントバレーにやってきました。
メサ mesaといわれるテーブル形の台地やさらに侵食が進んだビュート Butte (残丘)といわれる岩山が点在していて、まるで記念碑(モニュメント)が並んでいるような景観を示している。赤ぽいのは、鉄分を多く含み酸化鉄の色です。
1)前のシーンにも登場した3人のネイティブアメリカンが、子どもと夫婦(?)と子馬を連れて旅しています。何か物語がありそうですが・・・不明です。ここは、ナバホインディアンの居留地になっていて、ナバホの人たちによるツアーがあるようなので(ジープを使うそうですが)、このツアーのイメージなのかも。
2)手前のMerrick Buteと呼ばれるビューとの上でカメラを構えている人がいます。このビュートをこの位置から見るポイントを映画監督のジョン・フォードにちなんで、ジョン・フォードポイントというので・・・ジョン・フォードが映画を撮っているところとも思えますが、描かれているのはムービーではなくスティール写真用のカメラなので、風景写真家のアンセル・アダムスかもと言うことです。

3)たくさんの人が集まって葬儀の最中です。
 これは、映画『シェーン』からです。開拓者の仲間のトリーが、ならず者に殺されてしまい、その葬儀の悲しみのシーンです。少年ジョーイの愛犬もしっかり描かれています。
バックに、『シェーン』の舞台になったワイオミング 州にあるグランドティトン国立公園の、ティトンの山並みがモニュメントバレーの中に見事に潜り込ましてあります。
ところで、原作の小説『シェーン』もあるようで、映画と小説をあわせて解説した、HPがあります。
興味深い内容です。

4)星条旗を立ててラッパを吹いてセレモニーをしている騎兵隊の人たちがいます。
 これは、映画『駅馬車』(Stagecoach)のシーンからのようです。

2012年4月28日土曜日

ツイートテレビ ホームページ ~マスコミでは流せない情報~ 20120213


2012/2/13 (月) ツイートテレビニュース

2012/2/13 (月) ツイートテレビ 概要 原発2号機 天皇になった放射能
2012/2/13 (月) ツイートテレビニュース 概要紹介 どうなる? 原発2号機

1 概要 原発2号機 天皇になった放射能
2 脱原発政党 グリーンアクティブから:橋下の大阪維新と既存の政党
3 うつ病に対する言葉の特効薬
4 シリアでCIA,モサド支援のデモ隊が虐殺

放射能予報

スイス気象庁の放射能予想

スイス気象庁の放射能拡散予測

2012/2/13 (月) ツイートテレビ
スイス気象庁の予想によると東京では福島原発からの放射性物質の飛来は月曜日の夜までは問題ない模様ですが、その後、水曜日の朝4時ごろまで影響をうける模様です。

※注意
福島原発に近い地域は別にして、その他の近隣県では3月〜5月に降下した放射性物質の量が膨大な為、現在放出されている放射性物質が飛んでくる量よりも、すでにその地域にある放射性物質の方が遥かに大量であると思われます。
(ただし雨の場合は上空の放射性物質を含む大気が雨といっしょに落下しますので役に立つと思われます)
 そして、風の強い日に舞い上げられる放射性物質の方が、原発から飛んでくる量よりも遥かに多いと思いますので、これからの季節は乾燥と北風に注意が必要かもしれません 。

今週のイベント
原発関連:集会・イベント情報、Ustream番組表

----------------------------------------

今日のニュース

●どうなる?原発2号機

福島第1原発:2号機温度80度突破

福島第1原発2号機の原子炉建屋=2011年9月29日(東京電力提供) 東京電力は12日、福島第1原発2号機の原子炉圧力容器底部にある温度計の一つが午後2時過ぎに82度を示し、80度以下に保つとする保安規定に定めた制限を超えたと発表した。

 昨年12月の「冷温停止状態」宣言後で最高値。温度計の誤差を考慮し80度を超えると「冷温停止状態」の条件を満たさなくなる。東電は温度計の故障もあり得るとし、原子炉への注水量を増やし他の温度計の値などもみたうえで冷温停止状態ではなくなったかを判断するという。

 2号機圧力容器下部の温度は2月に入り上昇傾向で6日午前7時には73.3度に達した。そのため7日に原子炉への注水量を毎時3立方メートル増やし、一時は約64度まで 下がった。しかし再び上昇傾向を示し、11日午後9時には73.3度まで上昇。さらに注水量を毎時1立方メートル増やし同14.6立方メートルにしたが上昇が続いたため、12日午後3時半にさらに毎時約3立方メートル増やして同17.4立方メートルとした。同日実施した原子炉格納容器内のガスの検査では、核分裂で発生するキセノン135が検出されていないことから再臨界の可能性は低いという。

 同じ高さにある別の二つの温度計はいずれも35度前後を示し低下傾向。東電は上昇傾向を示す温度計が故障している可能性もあるとして調査を続けている。

 東電は冷温停止状態の定義の一つが「圧力容器底部が100度以下」であることから、温度計の誤差を最大20度と見積もって、80度を超えると地元� �治体に通報すると保安規定で定めている。今回の温度上昇を受け東電は「この温度計の値だけで冷温停止状態でなくなったと判断はせず、他の温度計の値なども見ながら状況を判断した」としている。【岡田英】

【原発】2号機が82度に 保安規定を超え通報(02/12 17:37)

Hiroshi_M @mi_jp_st
福一、温度計の計器は壊れていない。
壊れてたら交換すればいいだけ。
問題はセンサー及びセンサーと計器を繋ぐ補償導線と呼ばれる電線。
この二つを調べる方法を東電(私だって)は
知っているのに、やらないのか?
5分もあればできる。都合が悪いとやらない。
#sokotoko @tim1134

●  天皇陛下、18日に心臓・冠動脈のバイパス手術へ
http://www.asahi.com/national/update/0212/TKY201202120119.html

宮内庁は12日午後、天皇陛下について「心臓の冠動脈のバイパス手術をお受け頂くことが適切」だと発表した。手術は18日を予定している。天皇陛下は11日に東京大学医学部付属病院(東京都文京区)で、心臓の周りにある冠動脈の造影検査を受けていたが、医師団はその結果から手術が適切と判断した。

2012年4月26日木曜日


1900年 フリードリヒ・ウィルヘルム・ニーチェ(1844年〜1900年)が死去
 フリードリヒ・ウィルヘルム・ニーチェ Friedrich Wilhelm Nietzscheは、キリスト教は奴隷の「生」に対するルサンチマン「恨み」を隠している奴隷道徳である、と嫌っていました。キリスト教が絶対的存在だったヨーロッパでこう言い切るだけでも、彼はすでに19世紀の人ではなかったのかもしれません。彼が信じたのは「永劫回帰」の実感であり、「超人」として生きる理想の生でした。彼は人が神に近づける瞬間を体感し、そこに向かう者だけが救われると信じる孤独な宗教指導者だったともいえます。
 こうして超人的な「力」を求め続けた彼は、皮肉なことに梅毒によって正気を失って死んでゆきました。そして、19世紀を生きた壮絶な彼の死から20世紀が始まることになります。

「夢判断」ジークムント・フロイト(1856年〜1939年)
 ジークムン ト・フロイト Sigmund Freudは、現在のチェコに位置するガリチアにユダヤ商人の子として生まれました。ウィーン大学の医学部を卒業して医者になり、その後神経の病を治療することを専門とするようになります。そこでの研究の中で、彼は心の奥深くに意識(倫理や常識)によって抑えられた深層=無意識があることに気づきました。そこから彼が創始した精神分析とは、これを探し出し本人に意識化させることで神経の病を治療するという手法です。そのバイブルとなったのが、1900年に発表された「夢判断」です。
 人格を形成する最も重要な部分は自己表現をするエネルギーの源となるリビドーである。リビドーは「性欲」とも呼べるが、幼少時それは異性の親に向けられる。それが無意識のうちに抑えつけられることで、エディプス・コンプレ ックスもしくはエレクトラ・コンプレックスが生まれます。人間はこうしたリビドーによる「エス」の段階と「自我」の段階、さらに社会性を身につけた「超自我」の段階3つからなると分析しました。
 さらに彼はこの考え方を社会、宗教、芸術などの分野にも拡張してゆき、その後多くの科学者、思想家、医学者たちが彼の考えをもとに自らの研究を展開してゆくことになります。
 哲学者ではないにも関わらず彼ほど20世紀の思想家たちに影響を与えた人物はいないかもしれません。もちろん、その影響は科学や思想だけには限りませんでした。20世紀が生んだ音楽、映画、文学、美術などへの影響の大きさも多大なものがあります。死してなお、彼が発見した「無意識の世界」は人々を捕らえてはなさずにいるのです。

「笑い」アンリ・ベルグソン
「論理学研究」エドムント・フッサール
夏目漱石が英国に留学
「武士道 Bushido The Soul of Japan」新渡戸稲造
パリ万博を彩ったアール・ヌーヴォーの美学

1901年 エルンスト・フォン・ヴォルツォーゲンがベルリンのアレクサンダー広場に「多彩劇場(超寄席)」を開設。ベルリンにおける芸術キャバレーの先駆けとなる
「二十世紀之怪物」 帝国主義」幸徳秋水
「西洋哲学史要」波多野精一
1902年 ルドルフ・シュタイナーが神智学協会ドイツ支部長に就任
1903年 「論理学説研究」ジョン・デューイ(1859年〜1952年)
 ジョン・デューイ John Deweyは、ニューイングランド生まれのアメリカ人哲学者です。哲学を学ぶため、ジョンズ・ホプキンス大学に入学。カントやヘーゲルなどドイツ哲学の王道を研究した後、哲学の教授となりました。しかし、実践的で素朴な典型的なヤンキー・タイプの彼は、頭でっかちな観念論よりも人間性を育てる教育学を重んじました。20世紀初めに発表した「論理学説研究」(1903年)からはプラグマティスト(実用主義者、実際主義者)として活躍するようになります。彼は「概念」とは「道具」であり、実際の生活や仕事の役に立たなければ意味がないというアメリカ人的立場で哲学と教育学を結び付けました。
 時代的にソ連の社会主義にも関心をもつがスターリンの登場以降は、その独裁政治を批判する側に回りいち早くその矛盾 を指摘してゆきます。最もアメリカ人らしい思想家のひとりであり、古き良きアメリカのイメージを生み出す原点となったともいえる存在。「パパは何でも知っている」のパパは、こうしたプラグマティズムの教育が生んだ理想のアメリカ人だったといえそうです。

社会民主労働党がボルシェビキ、メンシェビキに分裂(露)
内村鑑三が「聖書之研究」などを通じ、日露戦争の開戦に反対
幸徳秋水らが平民社を設立、「平民新聞」創刊へ

1904年 「営利企業の理論」ソースタイン・ヴェブレン(1857年〜1929年)
 ソースタイン・ヴェブレン Thorstein Veblenは、ジョン・デューイと並ぶアメリカ人らしい思想家。ノルウェー移民の子としてウィスコンシン州の田舎街で生まれました。シカゴ大学、スタンフォーど大学などで教授を勤め、「生産者の立場に立った哲学」を基本とする著作を発表し続けました。
 最初のプロテスタント系移民がアメリカを開拓するために各地のフロンティアへと苦闘の旅を続けたのに対し、20世紀に入ってからやって来たアイルランド系、ユダヤ系、イタリア系移民たちの多くは都会に住みつき、彼らが新しいアメリカ人の都会的なライフ・スタイルを生み出すことになりました。そして、彼らはその後、アメリカ経済を左右することになる企業の理念を少しずつ変えてゆくことになります。
「営利企業の理念」(1904年)
 この著作の中で� ��は、企業による経済活動は、ビジネス(金儲け)とインダストリー(産業)に分けることができるとしています。ビジネスにおいては、利益を得ることが目的なので消費をあおるためなら何でもやらざるを得なくなると指摘。それに対してインダストリーは、有効なものを効率的に作ることを目的としており、それは倫理的に正しい方向といえます。残念ながらアメリカだけでなく世界全体の経済活動において、前者(金儲け)の傾向がどんどん強まっているのは明らかです。彼は、だからこそ「インダストリーの社会改革」が必要であると主張していました。
 彼は、古き良きアメリカ、映画「素晴らしき哉、人生」における「愛のある経済学」の必要性をいち早く説いていたわけですが、残念ながらその意見に耳を傾ける者は、ご くわずかだったようです。

「共産党宣言」(幸徳秋水、堺利彦訳、平民新聞刊)が発禁となる

1905年 「認識と誤錨」エルンスト・マッハ(1838年〜1916年)
 音速を示す「マッハ」でも知られる20世紀初頭を代表する天才マルチ思想家のエルンスト・マッハ Ernst Waldfried Joseph Wenzel Machは、当時オーストリア領だったモラヴィアのキルリッツで生まれました。ウィーン大学で学び、同大の教授に就任。専門は物理、数学だったが、研究対象は哲学、科学史、心理学、生理学など幅広かった。彼の重要な主張として「要素一元論」があります。
 カントなどによる理性によって世界を把握するという考え方ではなく、直接的体験をもとに世界を把握することを主張しました。物体や自我はどちらも実態ではない。しかし、感性的諸要素(色、熱、音、圧力など)からなる複合体として把握することは可能と考えました。
 「因果関係」もまたそれらの現象の間の関数関係としてとらえることができる。物理学と心理学は根本的に異なるわけではなく観点が異なるだけというわけです。彼の考え方は、ニュートン力学� �おける絶対空間という考え方を否定することでアインシュタインの相対性理論が登場する可能性をいち早く示していたことでも重要です。
 20世紀の科学は、例えば物理なら量子力学、天文学、相対論など、それぞれの専門分野へとどんどん細分化されてゆくことになります。そう考えると、彼は人類史上最後のマルチ・サイエンティストであり思想家でもあったのかもしれません。

エドムント・フッサールがゲッティンゲン大学やミュンヘン大学の学生による研究会を開き、そこで初めて「現象学的還元」の考えを示した
アルバート・アインシュタインが「特殊相対性理論」「光量子仮説」を発表

アインシュタイン、ボーアら天才物理学者たちの時代

1906年 フェルディナン・ド・ソシュール(1857年〜1913年)がジュネーブ大学で「一般言語学講義」を開始。(1911年まで行われる)
 フェルディナン・ド・ソシュールFerdinand de Saussureは、スイスの言語学者で初めて言語学を科学的に分析した学者です。それまで言語について行われていた研究は、その変化の歴史を時間軸にそって追跡・分類・比較・研究する歴史比較言語学でした。彼はその分野の優秀な研究者としてスタートしたが言語全体にわたり、時間軸を横切りして法則性を追求する新しい分野に挑戦しました。
 彼は言語とは、「ラング」と「パロール」とからなるとしました。「ラング」とは、「文法」という法則をもち、言語を使う人間の頭の中に存在する「制度的」なもの。それに対し、「パロール」とは、「ラング」をもつ人が実際に口を動かして発する「言葉」のことです。そして、「パロール」は一つのシステムに基づいて組み立てられた言葉の集合体によって「意味」を伝えます。彼は この言葉を「単語」に分解、その「単語」の構造を分析しました。彼はすべての単語を「シニフィアン」(記号表現)と「シニフィエ」(記号内容)とに分けて分析しています。
 「シニフィアン」とは、「SINIFIAN」という発音の音であり、「S」や「I」など、さらに細かな音素の集合体です。「シニフィエ」とは、その言葉がさす「意味」のことです。「シニフィアン」と「シニフィエ」を結びつける法則は存在しません。しかし、他の言葉との区別をつけるための「差異」が必要ため、「シニフィアン」という「違った音」をもつ「名前」が必要なのです。
 人間はあらゆることを表現するため、このシニフィアンとシニフィエを用いているが、そのことを意識しているわけではありません。さらにこのことは、言語以外の社� ��ルール全般にもあてはまります。人間が行動している社会ルールにも意識している表面の制度の下に無意識の構造が隠れているのです。こうした考え方から、この後「構造主義」が生まれることになります。
 19世紀の時点でいち早く言語を科学として扱うという新しいジャンルを切り開いたという点で20世紀後半に登場する構造主義の元祖ともいえる存在でした。今では当たり前に思える言語の機能を明確化したことで言語学が「学問」として新たな段階に入ったのでした。

ドイツの生物学者エルンスト・ヘッケルがハンブルクで「一元論同盟」を結成。宇宙のすべての謎は「物質の原理」「エネルギーの原理」「進化論」、三つの原理によって解明可能とした。
マハトマ・ガンジーが南アフリカで非暴力の抵抗運動を組� ��
堺利彦らによって日本社会党設立

1907年 エドムント・フッサール(1895年〜1938年)が「現象学の理念」の講義が行われ「現象学的還元」を解説。
 エドムント・グスタフ・アルブレヒト・フッサール Edmund Gustav Albrecht Husserlは1906年にゲッチンゲン大学の教授となり1916年からはフレイブルク大学の教授として活躍。フライブルク大学をドイツ哲学の中心都市にした人物です。優れた人物でありながらユダヤ人であったために教授の地位を奪われることになります。
 世界は意識によって構成されていると説明する「現象学」を生み出したドイツを代表する哲学者であり、サルトルらフランス人の哲学者にも多大な影響を与えた彼の考え方はざっくり書くとこんな感じでしょうか。
(1)世界を描き出すための論理を人間の心のあり方から考えるのは間違っている。そうした心理学的要素とは切り離した「超越した論理」。それ自体を記述しなけらばならない。
(2)人間は世界を認識する際、ある種の偏見を通して見ており、それは「 幻想」である。(これを自然的態度と呼ぶ)
 世界をより正確に認識するためには、常に立ち止まり「判断中止」(エポケー)をしながら、思い込みを取り除きつつ、それでも残された究極の真実に近づく作業が必要である。この思考の手順を「現象学的還元」と呼ぶというわけです。
 ただし、こうした作業を行っても完璧な客観性は得られません。そこにはそうした思考を行う「能動的な意識」が存在しているからです。逆に考えると、「世界」とは意識によって構成されているということもできます。そして、この世界を構成し創造する純粋な自我を「超越論的主観性」と呼びます。「世界」を構成する無数の意識がもつ主観性はそれぞれが自覚的になり他者との共同を行う「間主観性」を生み出すことで、世界にとって有効 な思想になりうる、というわけです。(ちょっと難しいかもしれませんが・・・)
 こうして生み出された「現象学」という考え方は、その後、20世紀の哲学の中心思想のひとつとしてもてはやされることになります。

「創造的進化」アンリ・ベルグソン
「プラグマティズム」ウィリアム・ジェームズ
小山内薫が「新思潮」を創刊

1908年 「新フランス評論」(NRF)第1号刊行(1909年の第二号にアンドレ・ジッドの「狭き門」が掲載され話題になる
1909年 フィリッポ・トマーゾ・マリネッティが「未来派宣言」を発表
1910年代
1910年 「数学原理」バートランド・ラッセル(1872年〜1970年)共著アルフレッド・N・ホワイトヘッド
 バートランド・ラッセル Bertrand Arthur William Russellは、名門貴族出身の由緒正しいイギリス人思想家です。当初はヘーゲルらのドイツ哲学を学んでいたが、その曖昧さよりも数学の正確さに惹かれるようになり、論理学や数理学へと方向を転換。事物を分析するには、その事物を構成する最小単位(原子)にまで掘り下げる必要があると考えるようになります。論理学を数学的に分析、研究することにこだわり続けました。第二次世界大戦後、原子爆弾が広島、長崎に落とされて、その悲惨さが明らかになると核廃絶運動に力を注ぎ、生涯平和運動に尽力しました。
 科学、数学の分野から世界を把握しようと試みた量子力学が発達した時代、それは原子爆弾というあまりに危険な発明を生み出してしまいました。そのおかげで彼の人生は大きく変えられることになったわけです。� ��学者ではなかったものの、彼は量子力学の時代を象徴する存在となりました。

「意思と表象としての世界」ショーペンハウエル著、姉崎正治訳が日本で出版される
大逆事件(幸徳秋水ら12名に死刑判決、天皇暗殺計画の罪)

1911年 スヴァルト・シュペングラーは世界大戦を予知。1918年に出版されベストセラーになる「西洋の没落」の執筆開始
「科学的管理法」フレデリック・ウィンスロー・テイラー
歴史研究家ハイラム・ビンガム(英)がマチュ・ピチュ遺跡を発見
W・カンジンスキーが青騎士を結成
アンデパンダン展にキュビズム派の追随者が登場(フェルナン・レジェ、マルセル・デュシャン、フランシス・ピカビアなど)
1912年 「変容と象徴」カール・グスタフ・ユング(1875年〜1961年)
 カール・G・ユング Carl Gustav Jungは、フロイトの弟子ながらユダヤ系ではなくゲルマン系のスイス人。少年時代から幻視体験をしていたせいもあり、超心理現象に興味をもつようになり、バーゼル大学で医学を学ぶと精神病について研究し始めました。その過程でフロイトの歴史的名著「夢判断」を読み、作者であるフロイトとも交流が始まりました。フロイトの弟子となった彼ですが、もともと超常現象に興味があった彼は神秘主義的傾向が強く、しだいに路線の違いが明らかになります。その影響もあってか、彼が1912年発表した名著「変容と象徴」をフロイトはあまり評価せず、ついに二人は別々の道を歩み始めることになりました。
 フロイトが「性欲」にすべてを還元しょうとすることにユングは反発。彼はリビドーの向かう方向こそが重要であると� ��て、「内向性」「外向性」を重視しました。さらに大きな二人の違いは、彼が「集合的無意識」の概念を非常に重要視した点です。ここでいう「集合的無意識」とは、個人の無意識の奥に潜む祖先たちが積み上げてきた膨大な記憶(元型)のことで、それが人間の感情などを形成し、神話や神秘思想の原点にもなっていると彼は考えました。
 あくまでも理論にこだわる学者であり続けたフロイトの弟子でありながらダークサイドへと導かれてしまったのがユングかもしれません。しかし、「性欲」にこだわり続けたフロイトより、「集合的無意識」という超現実的存在にこだわり続けたユングの方が魅力的に思える人はけっこう多いのではないでしょうか?(ちなみにロック界でいうと、フロイトがミック・ジャガーなら、ユングは キース・リチャーズいやブライアン・ジョーンズか?)

「変身 Die Verwandlung」フランツ・カフカ
アルフレッド・ウェゲナーが大陸移動説を発表
「憲法講話」美濃部達吉

1913年 「精神病理学総論」カール・ヤスパース(1883年〜1969年)
 カール・テオドール・ヤスパース Karl Theodor Jaspersは、ドイツの精神医学者であり、ハイデガーと並ぶ実存哲学者です。ここで用いている「実存」とは、人間がそこから行動したり思索したりする自己存在の根源。「実存」は主観的な存在であるがゆえに、他には存在しない超越的なものになりうると考えられます。そして、その超越的な自己に到達するためには、「世界」を超越し、超越者(はつて、人はそれを神もしくは預言者と呼びました)と関係する必要がある。ただし、それを実現させるためには、人は限界状況、もしくは危機的な状況に追い込まれなければならない。そしたう状況に置かれて初めて人は超越者と結びつく暗号を解読することができるのです。
 「誕生」や「死」のような非理性的なものと出会うことで初めて究極の理性が働きだすということは、それ� ��の非理性的なものとれ性的なものを同時に世界に存在させる包括者が存在するということです。この包括者こそが真の超越者であり、神だというわけです。
「軸の時代」
 彼は人類の歴史の中で非常に重要な時代として「軸の時代」をあげています。これは時代的には紀元前5〜6世紀ごろにあたるもので、ほぼ同時期に世界の何箇所かで今日にまで影響を及ぼしている偉大な哲学者たちが現れているというのです。
 ソクラテスらのギリシャの哲学者たち、イザヤなど旧約聖書に登場するイスラエルの預言者たち、孔子など中国の思想家たち、それにガンジス川流域の都市国家に生まれたゾロアスター教の修行者たち
 問題は、再び新たな「軸の時代」が到来することはあるのか?ということです。人類の生き方を根本的 に変えるような革命的な思想家が現れなければ、我々に22世紀を向けるチャンスはないのではないか?僕はそんな気がしているのですが・・・。

「失われた時を求めて」第一部「スワンの恋」作者マルセル・プルーストによる自費出版として刊行される。この後の作品はガリマール社から10年以上の歳月をかけて発表されることになる

アンリ・ベルグソンがロンドンの心霊研究協会で講演会開催し、心霊学の重要性を強調。この団体には詩人のテニソン、批評家ラスキン、心理学者のW・ジェームス、物理学者のJ・J・トムソンらが参加しており、心霊学を科学的に検証することができると考えていた。

2012年4月25日水曜日


ご存知ユダヤ人はイスラエルを占領され
世界中に散らばった。

多くの人がヨーロッパに行ったが
中国にも実は住み着いたと言われており
中国の山村でのユダヤ人コミュニティもあったという。

最果ての地、日本に渡ったユダヤ人もいたかも知れない
可能性について日本とユダヤ人によって調査団が構成されるなど
熱心な研究をしています。

天皇家に関わる共通点、ヘブライ語と日本語の3000語以上の類似、
伊勢神宮の家紋はダビデの紋章と同じ、
祇園祭りとシオン祭りは同じ日。もともと同じものでは?などなど。。。

知れば知るほど、面白いユダヤ人の秘密。

ゆどうそろん)とは、日本人とユダヤ人は、共通の先祖を持つ兄弟民族であるという説 。

主に、日本人とユダヤ人によって、提唱される。研究者達によって、学問的探求が行われている。

日ユ同祖論は、主に三つの立場がある。

1. 古代イスラエルの「失われた10支族」が、日本に来たという説。
2. 古代イスラエルの「失われた10支族」のみならず、12支族全てが、日本に来たという説。
3. 古代日本人が、ユダヤ人の先祖であるという説。

本項では、主に1について記述する。
目次
[非表示]

* 1

前提知識(アブラハムの家系とユダヤ人)
* 2 起源
* 3 主張されている根拠
* 4 旧約聖書と古事記
* 5 聖書と預言
* 6 批判と反論
* 7 日ユ同祖論に関連する説
* 8 脚注
* 9 代表的人物
* 10 参考文献
* 11 関連項目
* 12 外部リンク

[編集] 前提知識(アブラハムの家系とユダヤ人)

旧約聖書のアブラハムの孫がヤコブ(別名イスラエル)であり、ヤコブの12人の息子等を祖先とするのが、イスラエル12支族である。イスラエル12支族はエジプトを出た後、カナンの地に住み、10支族はサマリアを都として北イスラエル王国をつくり一旦アッシリアに征服された後、信仰を深めるため信仰を邪魔されない場所に移るとして消息不明になったとされる。(エズラ第2書13-40〜47)ユダ族等の残り2支族は南ユダ王国を建国した後離散し、ユダヤ人と呼ばれるようになった。ただし、当時のイスラエル人は有色人種であり、白色ユダヤ人(アシュケナジム)は8世紀ころハザール人がユダヤ教に改宗してユダヤ人を名乗ったことに由来するとの説がある。日ユ同祖論でいうユダヤ人とは有 色人種としてのユダヤ人(セファルディム)である。そして、同祖とはアブラハムないしヤコブを意味するといえる。

エズラ第4書13-39〜では、「幻に現れたその群集は…九つの部族であった。彼らは異教徒の群れを離れ、先祖がいまだかつて住んだことのない土地に行き、自

[編集] 起源

* 1690年に来日したドイツ人のエンゲルベルト・ケンペルは、著書「日本誌」の中で、日本神話に登場する高天原は、バビロニアにあったと主張した。
* 1823年に来日したドイツ人のシーボルトは、著書「日本」の中で、日本人の起源の候補の一つとして、中央アジアを挙げた。ただし、彼が日本人とイスラエルの失われた10支族との関わりについて、どこまで意識していたのかは不明である。
* 明治期に貿易商として来日したスコットランド人のノーマン・マクラウド(N.Mcleod)は、日本と古代ユダヤとの相似性に気付き、調査を進め、世界で最初に日ユ同祖論を提唱し、体系化した。日ユ同祖論の歴史は、彼の日本での著作「日本古代史の縮図」(The Epitome of The Ancient History of Japan、1875年(明治8年)、長崎日の出書房)によって始まった。これは、後の1901年、「ユダヤ大百科事典」のニューヨーク版にある失われた 10支族の項目に引用されたという。彼が韓ユ同祖論も唱えていたことを持って、マクラウドはなんでも失われた10支族と結びつける、いい加減な人物であったと結論する者もいるが、彼の主張は、10支族の内の主要な部族は、朝鮮半島を経由して日本へ行ったが、ダン族など残りの支族は、そのまま朝鮮半島に留まったというものであり、論理上の整合性は取れている。

[編集] 主張されている根拠

マーヴィン・トケイヤー『ユダヤと日本 謎の古代史』(産業能率大学出版 1975年(昭和50年))

2012年4月23日月曜日

マンデラの名もなき看守 - 迷宮映画館


アパルトヘイト政策真っ只中の南アフリカ。アフリカ民族会議(ANC)の党員であるネルソン・マンデラは、政府のアパルトヘイト政策に対して、反対運動を行う。しかし、妨害行為、国家反逆罪、共謀罪で有罪判決をうけ、そこから長きに渡って、投獄される。

彼は、アパルトヘイト反対運動の象徴的存在で、彼の一挙手一投足は、さまざまなところに影響を与える。彼の真実、彼の狙いを知るためには、彼らの母国語のコーサ語を理解できるのが、必須となる。

そのために検閲の刑務官として採用されたのが、白人でありながらコーサ語を話すことが出来るジェームズ・グレゴリーだった。

2012年4月22日日曜日

DreamCatchers: McGee And Frida - YouTube


(Holy friggin dancing frogs, a minute and a half of this awkwardness. GAH! I don't know why, but my video making skills have plummeted, sorry if this one sucks. DX)

Anyways, Cheyenne has always been a dreamer, and because of this, was an outcast from her peers until she wished to have a friend that could help her stand up for herself.

2012年4月20日金曜日

Canadian English


What is "washroom"?

@uWashroomv\B̈ӖȂ񂾁HƁA{ʼnpꋳ󂯂lAJɏZłl͎v̂ł́BBĊԂȂA[ŃgCTĂƂ̂ƁBtA̋ȂǁAɂgĈ肻ȏꏊTBurestroomvƂ\͂ȂAڂɓ̂́uwashroomvƂpB̓gCȂAł􂤂񂾂낤EEEƑ̏ꏊֈړBƂ낪܂AɂgĈ肻ȂƂɁuwashroomv̕\Bfp[g̓tAɂӂ‚u􂢏v͂͂ȂB́AgCӖ̂Ȃ\B}vĂ̂ŁA͓qɏoāAuwashroomvɓːiBhAɂ͓{Ƌʂ́AXJ[g͂̂ȂԂ̃}[NBA͂gĈƂ̂BuɂvvăJi_pw񂾏B